しばらくブログを休んで気付いたこと。

しばらくブログの更新をお休みしておりました。

一体このブログがどれだけの人に役に立っているのだろう。会社で忙しい1日を過ごした後、出張でしばらく家にいないとき、料理が作れないとき、料理を作りたくないとき…そんなときでも更新する意味とは?本当に心から書くことを楽しんでいたのだろうか?どれだけ充実した情報をお伝えできていただろうか?
そう考えているうちに、自然とPCから遠ざかってしまいました。

しかし、ブログをお休みしていて気付いたことがあります。それは、ブログ更新関係なしに、やっぱり料理が好きだ!ということ。どんなに仕事で疲れて帰ってきても、長期の出張から家に戻ってきても、最初に考えることは「今日何を食べようかな」なのです。

料理は私にとって、仕事とプライベートを分けてくれるカーテン。旦那や自分の身体を思いやる心の表現。そして愛情そのもの。愛情とは、家族や自分に対してだけではなく、我が家の食卓に来てくれた食材に対しても注ぐべきものだと思います。「あ、このトマトはまだまだ温かいスペインから来たのね」、「これは地元バイエルンでとれたマッシュルーム。美しい自然に囲まれて育ったのね」「今日はエネルギーチャージしたい!真っ赤なビーツの元気な色を取り入れてみようかな」…そうすると、料理すること自体がもっと楽しくなり、感謝の気持ちが湧いてきて、「よし!おいしいもの作ろう!食べてもらおう!」と俄然やる気が湧いてきます。

そして、ブログをお休みしていた間もう一つ気付いたことがあります。それは、日常の中に喜びを探していく大切さ。

何かを続けるということはとても難しいことです。それはブログだけに限らず、スポーツだったり、勉強だったり、人によって様々です。何かを成し遂げている人には信念があります。その信念は毎日何かを続けるという行動に現れます。そしてその人たちにはエネルギーがあります。そのエネルギーとは、毎日続く変わり映えない日常の一コマに、自分の信念と合致するモチベーション要因を見つけることによって生み出されます。つまり、当たり前を当たり前としないことが大切なのだと思います。

最近、「夜と霧」という、ヴィクトール・E・フランクル著の本を読みました。著者は第二次世界大戦中にドイツ軍の強制収容所に入れられ、奇跡的な生還を遂げた精神科医です。この本は極限状態の地獄のような環境にあっても、それでも生きる意味を見つけようとする人間の尊い精神について書かれています。
本の中に書かれている収容所の様子はすさまじく、想像を絶する残酷さです。その環境に耐えられず自殺を図った人もいましたが、それでも生還した後の人生を夢見て、生きようとした人がいました。

今の私はどうだろう、と長い時間考えました。家がある、仕事がある、家族がいる、安全な生活がある…すべて揃っている日常が当たり前になって、些細なことで文句を言い、落ち込み、周囲をねたみ、自分を卑下してはいなかっただろうか。何かにつけてできない理由を探していなかっただろうか。

こんなに恵まれているのだから、何かをさせて頂きたい。世界を変えるような大きなことはできないけれど…些細でもいいから、誰かが喜んでくれることをしていきたい。そう強く思いました。せっかく命を頂いているのだから、何もしないのはもったいない、と。このブログを書くことによって、自分も日ごろ気付かなかった、食べ物に対する感謝や料理の楽しさに気付くことができる。そしてそれを誰かに発信することで、同じような気づきを共有できるかもしれません。

このブログにこのミッションをすべて託すつもりはありませんし、できないと思います。でも、このブログを読んで、ほっとしてくれる人がいたり、その日の献立のヒントになったり、「おいしそう!」と思ってくれる人が一人でもいてくれたら、きっと発信し続ける意味はあると思います。

もしかしたら、また定期的に更新できない時期がくるかもしれません。それでもいいから、とりあえずできる範囲で続けていきたいと思っています。

少々真面目な内容になってしまいましたが、これが私がブログを休んでいた間に気付いたことです。これからもおいしいものたくさん作って、みなさんに発信していきたいと思いますので、どうぞいつでもこのブログに遊びに来て頂ければとおもいます。

これからもよろしくお願いいたします!

Leave a comment!

This site uses Akismet to reduce spam. Learn how your comment data is processed.